月曜9時のparty people

ナンダカンダ藤井流星くんのファンが書きたい時に更新するブログ

藤井流星くんの10000字インタビューを読んで

いよいよMyojoのジャニーズWEST10000字ロングインタビューシリーズも今月発売の2015年3月号で第6弾、ついに流星くんの登場です。

自担の10000字インタビューをどんなテンションで迎えたらよいのかわからない!と出来る限りフラットな気持ちを保つようにしていましたが、発売日に朝イチで入手して本誌を読み始めるまでの間が一番緊張してて口から心の臓が飛び出すぐらいバクバクしてました。
 
そして、読んだ。第一の感想は「自担のロングインタビュー10000字じゃ足りんわ!50000字は読ませろ!」でしたwwww私は流星くんが過去になにわ侍ハローTOKYOのパンフや雑誌などで「ジャニーズとしての自覚が出てきたのは高校生ぐらいの頃」と話していた、その具体的な時期とかきっかけを10000字で答え合わせできるんじゃないかと思っていたんだけど、その件には全く触れられてなかったから「足りない!」って言いたくなったんだと思う。しかし実際に50000字あったらその答えを聞けたのかどうかはわからないからそういうもんだ。
 
何度も何度もインタビューを読んだ。流星くんはとても冷静に淡々と、今までとこれからについて語ってくれていた。
 
アイドルとはファンに妄想する余白を見せてくれるお仕事だと思っている。例えば、アイドルが何気なく放ったひとことで、大勢のファンがそれぞれの解釈をしてはその話題を楽しんでさらに広がっていくかのようなイメージ。流星くんはその妄想する余白を幅広い層にわかりやすくキャッチーに見せるのがあまり得意ではないと思っていた。それはひとえに、流星くんがとても素直でまっすぐに直球で勝負するタイプだからだと思う。10000字インタビューでも、流星くんの回で初めて判明したデビュー秘話がいくつもあって、こんな面白いネタ持ってるならもっと早い段階でペラるし待ってましたとばかりにドヤ顔で面白おかしく話そうと私だったらするなって考えたけど(笑)流星くんはびっくりするくらいに淡々と、事実を述べるのみであった。そんな面白くない流星くんが私は大好きだ。
 
カウコンでのジャニーズWEST4デビュー発表から7人でデビュー発表するまでの約1ヶ月間に起こった、今までどこにも明かされてなくて流星くんのインタビューで初めてわかったデビュー秘話をまとめるとこんな感じ。
  • カウコンの放送を見てすぐジャニーさんに「俺も入りたいです」と言おうと思った
  • でもまずは現場の状況を把握するところからだと思い、4人には聞きづらいから会場にいた仲のいい人こと優馬くんに放送が終わってすぐ電話をかけた
  • 優馬くんは電話にすぐ出てくれて、流星くんが喋るより前に「今すぐジャニーさんに電話かけろ!」と言った
  • そしてカウコン終わって10分後ぐらいにジャニーさんに電話をかけたら「今、バタバタしてるから明日掛け直す」と言われ、これは忘れられるパターンだな終わった…と一瞬思った
  • 優馬くんにジャニーさんに電話した事を報告すると「絶対いける!100パーいける!」と言いきった。そこで絶対あきらめないとスイッチが入った流星くん。濱田くんと神山さんが流星くんと電話で喋った時に「俺はあきらめない」と語っていた話に繋がる。
流星くんが7人でデビューが決まるまでの間、優馬くんに色んなことを相談していたというのは雑誌のインタビューで知っていた。しかし実際にここまで直接的な話を聞いたのは初めてである。優馬くんが7人でのデビューのためにどんな動きをしたか、具体例までは書かれていなかったが、とりあえず動こうと真っ先に思った流星くんを後押ししてくれたのが優馬くんで本当によかった。優馬くんの言葉がなかったら流星くんはもちろん、濱田くんも神山さんも諦めたままだったのかもしれない。
 
そして、Jr.時代から今でも続く小瀧くんとの関係。小瀧くんの10000字でも思ったけど、身近に地元のツレみたいな感覚で安心できる存在がいるのはお互いにとって支えになっていた事がわかって嬉しかった。7WEST時代は重神だけが東京での仕事に選抜される事も多かったけど、それを糧にして俺たちも頑張ろうと鼓舞していたから今に繋がっているのだと思う。今やスタッフさんからも「(ライブ中) 何で絡まないの?需要あるよ」とアドバイスされようとも(笑)打算的な仲の良さではなくて、これからのコンサートで二人のコンビ曲をどんな演出にしたらかっこいいかを熱く語ったり、しょうもない下ネタで盛り上がってるような二人でいつまでもいて欲しい。
 
流星くんの10000字で思わず泣いてしまったのは2012年の日生少年たちのくだりです。当時の私も流星くんみたいに賭けはしてないけど、流星くんから降りる寸前でした。遡ると2011年にセクゾがデビューして何も変化がなかった関西ジャニーズJr.って組織に勝手に絶望して、そのまま流れるように別ジャンル(K-POP)にだだハマっていたので、便宜上担当とは呼んでいたけれどとにかくありとあらゆる事を蔑ろにしがちだった。決定的なのは2012年春に流星くんの初出演映画「寮フェス」の公開初日舞台挨拶に寝坊して行けなかった事なんだけどwww好きなものが増えていくのは素晴らしいんだけど、そのぶん流星くんに対して誠意をもって愛情を注ぐことが出来ない自分にも苛立っていた。結局「寮フェス」舞台挨拶2回目には間に合ったんだけど、朝からブルクの売店でビール飲まなきゃやってらんないってテンションでした。いま思い出しても酷いwwww
その後すぐに流星くん初めての東京進出公演とも言えるクリエの関ジュコンがありましたが、嬉しい反面、台風のようにあっという間に過ぎていって感慨もあまりないまま終わってしまいました。高校を卒業してから少しずつ流星くんの活動範囲が広がる一方で、流星くんがメンバーに選ばれたプレゾンファンミも申し込んだのにあっさり外れたし、今年の日生もやっぱり流星くんと小瀧くんは出演者に名前が出てないわーとやさぐれた気持ちのまま、流星くん以外に大事なものや好きなものが増えていくのを重みに感じていました。
2012年7月。7WESTのメンバー表記が6人から4人になったあの日。ショックでたまらなかった。2011年の西日本ツアー辺りかなぁ。ユニより個人を大事にしようと私は鬼の心になって誓ったはずだったのに、流星くんの名前がそこにあった事よりも7WESTが4人になってしまった事の方がショックだった。この日を境に私は流星くんを担当と呼ぶのではなく、ただの流星くんが好きな人になろうと看板を下ろしてみた。そんな気持ちのまま8月の松竹座公演を観た。オープニングから流星くんがすごくすごくかっこよくて、涙が出そうになった。初めて流星くんを松竹座で見た2009年の夏、いやそれ以上に「流星くんかっこいい!」しか喋られなくなるくらいかっこよかった。ばかみたいにかっこいいしか言えなかった。4人の7WESTのパフォーマンスもかっこよくて、寂しいなんて気持ちが出てくる前に圧倒されてしまった。初期衝動を取り戻したかけたタイミングで、松竹座公演期間中に流星くんと小瀧くんが9月の日生公演も追加で出演するとの報告があった。最初から言ってよって腹が立ったけどww今の最高にかっこいい流星くんを来月も見られるんだって嬉しさが勝って、色んな人にチケットを譲ってもらったりと助けてもらいながら、高まる気持ちで初日の日生劇場に足を運んだ。私のテンションもおかしくて日生の階段で躓いて転んだのを覚えている。あの敷いてある赤い絨毯、クッション性なかなかあるから痛み全部吸収するよ!笑。そこで目に飛び込んできた流星くんは、黒髪をラフに上げておでこを全開にし、気迫に満ちた顔で踊っていた。まずオープニングから立ち位置ドンピだったのに一瞬誰だかわからなかった。目の前でかっこいい人が踊ってると思ったら流星くんだったんすよ…(神宮寺メソッド)
初めての東京での長期公演をこなす流星くんは伸び伸びと輝いていて、私はずっとこんな流星くんを見てみたかったんだと毎週東京に通いながら嬉しくて楽しくてたまらなかった。ずっとLOVEは2012年9月の個人的テーマソングなので今も耳にすると泣きそうになる。そして、この日生公演に通うことで私は流星くんの担当だって胸を張って自信を持って言えるようになれたし、私がやさぐれていた時期のマイナスを埋められる事は今後出来なくとも、これからもっと流星くんの事を愛情深く愛して応援していこうと思う事が出来た。そんな意味でも大切な公演なのです。その日生に出られなかったら8月いっぱいで辞めようと密かに決意していた流星くん。こればかりは流星くんの「出たい!」という強い意志とタイミングと運と巡り合わせに感謝するしかありません。
 
今週更新されたジャニウェブ連載で、流星くんは10000字インタビューについて「これによって同情して貰うとかではなくて、藤井流星は色んな人に支えられサポートされ周りに恵まれてたんだなと知って欲しい」と書いていました。流星くんはよく、みんなに支えられないと僕ひとりでは何も出来ない旨の発言をしています。恥ずかしがり屋で感謝の気持ちを面と向かって伝えるのは照れくさくて苦手そうな流星くん。そんな流星くんが放つ言葉は、いつだってストレートに私の胸を打ちます。星は星単体だけでは輝けないと知っている流星くんがさらに大きく輝く一等星となったその光を、これまでもこれからもいつまでも見上げていたいです。流星くんは私のSUPERSTARだ。